エルトゥールル号の海難事故。トルコと日本の絆の物語です。

歴史

1980年にトルコの船が遭難事故を起こしました。日本人の取った行動とトルコが取った絆について調べてみました。

エルトゥールル号の遭難事故とは

オスマン帝国海軍のエルトゥールル号は11か月かけて、日本の横浜港に到着しました。

エルトゥールル号は整備を受けてトルコのイスタンブールを出港しましたが、とても古い船だったため日本にたどりつけたのも奇跡だったのです。

日本側はとてもエルトゥールル号は航海を続けれる状態ではないと、台風の時期だけでも日本にとどまるように勧告しまし。

エルトゥールル号は出航をしました。

1980年に和歌山県の東牟婁郡串本町沖でトルコ軍艦のエルトゥールル号が海難事故を起こしました。

台風による強風で耐え切れなくなったエルトゥールル号は、紀伊大島の樫野埼(かしのざき)の岩礁に激突し沈没した。

600名以上が海へ投げ出され遭難し、司令官も合わせて587名の犠牲者をだしたのです。

エルトゥールル号の海難事故で日本人がとった行動とは

生存者が樫野埼灯台に流れ着き、数十メートルもある断崖を這い上がり灯台にのぼりついたことから海難事故が発覚しました。

大島村(現在の串本町)の村民は通報を受けて、総出で救出作業と生存者の介護にあたりました。

この時の大島村民は、食糧の蓄えもわずかでとても貧しかったのですが、米やさつまいも・卵に非常用の鶏まで提供しました。

食料だけでなく、衣類や浴衣なども提供し生存者達の為に必死に救護活動をしました。

生存者達が帰還するまで献身的に介護をしました。

大島村民のおかげで、学校や寺・灯台などで手当てをし69名が救出されました。

エルトゥールル号の生存者はどうやって帰還できた?

明治天皇は日本政府に可能な限りの援助をするように指示をしました。

衝撃的な事故はニュースや新聞で報じられ、義捐金(明治時代の言い方で現在の義援金と同じ意味)や弔慰金なども寄せらました。

海難事故から20日後に大日本帝国海軍のコルベット艦で、生存者を乗せてオスマン帝国の首都であるイスタンブールまで送り届けました。

日本との絆

エルトゥールル号の海難事故は、オスマン帝国でも大きく報じられました。

日本政府の尽力と大島村民による救助活動が伝えられました。

当時オスマン帝国の人々は日本に対しての行為を抱いたといわれています。

串本町では樫野埼灯台の近くに、エルトゥールル号の殉難将士慰霊碑とトルコ記念館が建てられています。

5年ごとに追悼式典が行われています。

日本とトルコの懸け橋となった人物

エルトゥールル号の海難事故の衝撃を受けた、山田寅次郎は義援金を集める活動をして一人でトルコに渡り義援金を渡した人物です。

義援金を集めたがどうやって届けたらいいのかを、外務大臣に掛け合い相談しました。

すると「自信で届けたらどうか」と寅次郎が指名されました。

そのころまだ日本とオスマン帝国(トルコ)との間には、正式な国交も結ばれていませんでした。

寅次郎は「両国の国交の為に、国情を見聞きしてほしい」と助言されたそうです。

寅次郎は26歳の時に3ヶ月かけてオスマン帝国に着き、義援金をを渡す事が出来ました。

1年かけて集めた義援金は当時のお金で5,000円、今でいうなら3,000万とも1億とも言われる金額です。

トルコに留まることを決めて、陸海軍の士官に日本語を教えました。

寅次郎は日本に帰国を何度かしましたが、20年間にわたりトルコに滞在していました。

寅次郎がトルコに及ぼした影響も大きくあります。

トルコの初の大統領は、寅次郎が日本語を教えた一人です。

オスマン帝国が滅んでから、日本とトルコの間に国交が結ばれました。

イランイラク戦争が始まる

1985年にイランイラク戦争の中、日本人200人がイランから脱出する事が出来ない窮地に追い込まれていました。

この日本人を助けてくれたのが、トルコからの救援機でした。

日本の大使がトルコの大使に窮状を訴えました。

するとトルコの大使は「救援機を派遣させましょう」と手配をしてくれました。

「トルコ人なら、エルトゥールル号の海難事故の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせて頂きましょう」と答えてくれたそうです。

215人の日本人は全員トルコ経由で日本に無事に帰国する事ができました。

約500名のトルコ人はこの救援機に搭乗できませんでしたが、自動車でイランを脱出することができました。

エルトゥールル号の海難事故の事をトルコの人々は忘れていなかったのです。

あとがき

いかがだったでしょうか?

トルコのエルトゥールル号を大村村民が精いっぱい助けたことから始まった、日本とトルコの絆の物語。

オスマン帝国時代の恩返しで日本人を助けてくれた、素晴らしいお話でしたね。

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